記憶の糸

1
劇団発足当時は「歪んだ真珠」という喫茶店。現在はアパートになっている。白い自転車が置いてあるあたりが入口だった。テーブル型のビデオゲームが置いてあり、ナムコのリブルラブルにはまった者も。コーヒーはつけがきいた。このシステムが店の経営を圧迫した。二階は漫画本が大量にあった。また、二畳ほどの板の間がありカフェシアターの公演が行われることもあった。深夜まで稽古をすることが可能だった。40メートルほど西のモンマートと共に、深夜の活動を支えた。
2014.4/20現在の元ゆがしんはこのようなカフェに変わっております。
今度は言ってみようかな。
2
発声練習、体力トレーニングはここから西の旭山に向けて行われた。公演が近づいてきて昼過ぎに発生練習をしていると、隣の附属小学校よりうるさくて授業にならないと厚生補導に電話が入り、自粛することがあった。トレーニングはキャンパスの外周一周と腕立て伏せ20回、腹筋30回。背筋20回。発声練習はあえいうえおあおと早口言葉を劇団員が一つずつ御題を出し、全員で競争。
3
部分的に活字が使われている。当時ワープロ喫茶なるものができ、一時間千円ほどでワープロが打てた。あるいは、雑誌などから切り貼りしたもので構成していた。浅草心中という文字はレタリング辞典を下にしいてトレースしている。
4
管理人が再び学生演劇の動向に注目し始めたころ。信州大学教育学部の構内で工学部の劇団が公演することに疑問を感じ、公演を観にいき、おまつり研究会が絶滅危惧種であることに愕然とした公演。この後も基本的にレプリ館と共同公演の形態をとっている。この公演自体は山脈パワーを存続させており、秀逸であった。
5
12月のテント芝居として、観客を激怒させた。道具立てがことごとく氷つき動かなくなった。また、足場転倒事件、泉会館水没事件など不祥事の一歩手前までいった。このチケットもらった人、芝居を見に行った方にはこころよりお詫び申し上げます。
6
このデザインがなぜこんなにすっきりして、なぜ活字になり、なぜ印刷所に回されていたのかはわからない。現代では当たり前のレベルに第十二回公演をして初めて到達した記念のチケットである。
7
学外へ出て公演をしたい。そんな願いをかなえてくれたのが同業者の劇団六連銭の吉野氏ら。今となってはこのような史跡で公演したなんて驚きです。


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